写真)高高度気球の打ち上げ
提供)岩谷技研
- まとめ
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- 北海道のベンチャー、気球による宇宙遊覧フライトビジネスに挑む。
- 応募で選ばれた5人が年内のフライトを目指す。
- パートナー企業との共創により、日本から宇宙産業を開拓し、「宇宙の民主化」を目指す。
「地球は青かった」。
1961年4月12日に宇宙船「ボストーク1号」に搭乗し、地球を1周して人類初の宇宙飛行に成功したソ連の宇宙飛行士、ガガーリンの名セリフだ。
それから60年余。今や月にロケットが着陸するのはあたり前になり、人が月に住むのもそう遠いことではない時代となった。
宇宙に魅せられたアメリカの起業家イーロン・マスク氏は、宇宙開発企業スペースXを創業した。
日本にも同じく宇宙に憧れ、事業を興した人がいる。しかし、マスク氏と違うのは宇宙に行く手段がロケットではなく、「気球」であることだ。
「宇宙の仕事なんかいいよな。自分でやってみたいな」。
漠然とそう考えた大学生がいた。株式会社岩谷技研(以下、岩谷技研)代表取締役社長、岩谷圭介氏、その人だ。
ふつうはそこで終わる。だが岩谷青年は違った。もともと研究者になるために大学に入った。でも、なにか違う。4年生になっていた。
「大学院生があまり生き生きした目をしてない。覇気がない感じで、日々ただ漫然と暮らしている人が多いように見えました」。
どうしたら宇宙の仕事ができるのだろう。宇宙航空研究開発機構(JAXA)に入る、もしくは研究者になるという選択肢もあった。しかし、「自分のやりたいこととは違う」。そんなぼんやりとした感覚があった。
「何がやりたいのかな、ということで始めたのが、気球に小型カメラをつけて宇宙の景色を撮ってみようかということだったのです」。
なぜ気球を選んだのか。
「調べてみると気球は結構高いところに上がることができる。ロケット開発を自分でおこなうことは非常に厳しいけれど、気球ならできるかもしれないな」。
大学を卒業した翌年の2012年には、上空33,000mからの撮影に成功。岩谷技研のビジネスの萌芽が誕生した瞬間だった。
しかし、「そこはビジネスになるとも仕事になるとも、自分自身がそれで生きていけるとも思っていなかった」。
出典)株式会社岩谷技研
気球の開発
岩谷青年の気球への挑戦が始まった。実際に気球をつくろうと思ったが、圧力変化が激しい地上から約7~8,000mから10,000mの高高度まで上がる気球に関する文献も論文も、多くは見つからなかった。
だから起業した。自分で研究開発を始めた。その時の周囲の反応。
「誰もやったことないからできないよ」とか、「それはちょっと大変じゃないか?」とか、「リスクがあるよ?」とか・・・。
「人から見て自分はどう見えるのか、いろんな人から教えてもらいました。だからリスク管理はしっかりしました」。
そう岩谷氏は振り返る。
いろいろな意見や批判が来るたびに、実験を重ね、対策した。検証に次ぐ検証。それを公にすることを繰り返した。たとえば安全性。気球が地表に戻ってくるとき、人にあたったらどうなるのか?そんな疑問にも、自らが実験台になって安全性を証明してみせた。
「世の中から理解してもらってこそ、(事業を)進められるということを早い時期に教えてもらいました」。
決して皮肉ではない。研究者として人の意見に真摯に耳を傾ける。その姿勢を貫いてきたからこそ今がある。そんな自負が感じられた。
驚くべきことに、これまでに気球研究での事故は1回もないという。
研究開発の苦労
たんたんと話す岩谷氏からはこれまでの苦労はあまり感じられない。それでも話の端々に氏のこだわりが顔を出す。
「私は、意匠や商標など、特許を含めた知財(パテント)全体で50件くらい持っています。生涯かかってもそう簡単には取れない数だと思うのですが、新しいものをそれだけ生み出している。分かりやすい指標だと思います」。
今まで実際に人をガス気球で10,000m以上の高さまで飛ばしたことは、少なくとも日本ではない。前例がないことにチャレンジすることは想像以上に困難なことのはずだ。
「研究開発や発明・技術の分野が大変だと思ったことは一切なくてですね。困難が訪れても、それは乗り越えるべきハードルで、楽しくて新しい物語です」。
そう涼しい顔で答える岩谷氏が唯一といっていいのだろうか、苦労したのは「組織づくり」だと明かした。
「いかにしてチームを組成するか、チームをいかに組織にし、ちゃんと運営していくか。人も物も、お金も、時間も全てコントロールしていくのは、とてもいい勉強になりました」。
と、ここでも苦労をみじんも感じさせない。この人の持ち味なのかもしれない。
とにかく今、岩谷技研は8割がエンジニアおよび作業員。事務方も入れて、“チーム岩谷技研”として総勢約60人で走り続けている。
気球はどう飛ぶ
それにしても気球が宇宙まで上がるというのが、ぴんと来ない。そもそも気球はどうして浮上するのか。岩谷技研の気球は熱気球と違い、ヘリウムガスが入っている。
気球がどの高さまで上がるかは、重量と気球のサイズで決まる。気球の体積に対しての重さ、すなわち密度が周りの空気より軽ければ浮くし、重ければ沈む。その密度に限界を設定しておけばそれ以上には上がらないわけだ。
過去、実験でガス気球を打ち上げた例はあったが、商業ベースで気球に人を乗せて飛ばそうと思った人はいなかったようだ。前人未到のチャレンジがいま始まろうとしている。
提供)株式会社岩谷技研
オープンユニバースプロジェクト
目下、岩谷氏が取り組んでいるのが、「『週末、宇宙行く?』が、実現する世界へ。」を合言葉に気球での宇宙体験の民主化を目指すプロジェクト、「オープンユニバースプロジェクト」だ。
これまで宇宙へ行くことができるのはほんの一握りの、厳しい基準をクリアした人にすぎなかった。しかしこのプロジェクトは比較的廉価で、「気球で」「民間人が」宇宙へ行くことを目指す。昨年、WEBサイトからの一般応募からオンライン面談を経て選ばれた5人が早ければ年内に行われる第一期フライトに搭乗する予定だ。
岩谷技研の気球による宇宙遊覧では、約2時間かけて高度25,000mの高さに到達、約1時間ほどゆっくりと宇宙の眺めを楽しみ地上に帰還する、往復約4時間の「日帰りの宇宙の旅」を目指している。
提供)株式会社岩谷技研
今回用いられる気球の最終形が完成したのは、一年ほど前。改良に改良を重ねて現在の形になった。難しかったのはキャビンの設計だ。軽くすることができれば当然気球全体の重さも軽くなり、より高く上昇することができる。しかし、軽くなれば安全性に支障が出る。安全性も軽さもどちらも必要不可欠なものであるため、二者択一ではなく間の「ちょうど良い」部分を探っていかなければならない。岩谷氏もここで苦戦を強いられた。
キャビンは特殊なプラスチックでできている。プラスチックの近年の進化はめざましく、ケーブルも金属ではなく、合成化学樹脂系の芯のものを用いており、圧倒的に強があるうえ、軽さも兼ね備えているという。もとはパラシュートやテント、ハーネスなどに用いられていたものだ。こうしたさまざまな素材を集め、実験を繰り返して完成したのが現在のキャビンだ。緊急時にはパラシュートを使うよりもキャビン部分にいた方が安全なほど、その強度は高い。バルーンに関してはすでに300個以上も製作しているという。
出典)株式会社岩谷技研
一方、技術ではどうしようもないことがある。天候だ。気球は風の影響を大きく受ける。基本的には風をコンピューターでシミュレートし、その結果に基づいて気球の飛行経路や着陸地点を事前に予測してから打ち上げる。だがいったん飛び立ったあと、推進装置のない気球にできることは高度の上げ下げと、高度によって変わる風向きを読んで、方角を変えることだけだ。打ち上げた場所には、戻ってこないと思った方が良い。降りる場所は、事前のシミュレーションで導き出した着陸地点を中心点とした半径5km圏内のどこか、となる。気球は意外にも雪には強いが、雨に弱い。基本的に天気が崩れる日、風が強い日には気球をあげない。したがって、打ち上げには天候を考慮し、1週間程度の期間の確保が必要だという。
提供)株式会社岩谷技研
今後の課題
技術面の課題はほぼクリアされているものの、残されているのが開発費の問題だ。オープンユニバースプロジェクトは基本的に事業提携を行う企業からの協賛金を元に事業を展開しており、徐々に協賛企業も増えている。
「こんな不思議な開発をしているところに対して皆さんに協賛や出資をしていただいており、本当にありがたい話です」。
そう岩谷氏は感謝しつつ、現在の自社を取り巻くビジネス環境に思いをはせた。
「日本はなかなかイノベーションが起きないと言われていたところから、今、新しいイノベーションを生むような、そんな土壌ができつつあるのかなと思います」。
今後、ビジネスを拡大していくとなると、資金需要もふくらんでいくだろう。さらなるパートナー企業の参画が期待される。
10年近い時を経て、1人の青年のアイデアが実現の一歩手前まで来ている。「週末、宇宙行く?」が実現するその日を見届けたい。
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