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出典)2344799/Pixabay
- まとめ
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- マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームが、自分の見たい夢を見ることができる新技術を開発。
- 精神医療への応用も期待されるなど、この技術に大きな注目が集まっている。
- 一方で、大企業による夢の中での広告展開などの試みもおこなわれており、倫理的な観点から規制の整備が急がれる。
読者のみなさまはお屠蘇気分もすっかり抜け、通常モードになっておられると思う。
「一富士二鷹三茄子」ということわざはつとに知られているが、初夢の内容でその一年の運勢を占う人も多いだろう。みなさんは、どんな初夢をご覧になったろうか?
もちろん、夢は自分でコントロールできない。覚えていないだけかもしれないが、見る日もあれば見ない日もあるし、なにより起きたら中身を忘れてしまっている、なんてことも多い。
ところが今、見たい夢を望んだとおりに見ることができる技術が実現間近だという。マサチューセッツ工科大学(MIT:Massachusetts Institute of Technology)の研究所「MIT Media Lab」が開発しているのだ。
Targeted Dream Incubationとは
MIT Media Labが開発しているその技術は、Targeted Dream Incubation(TDI:(ターゲテッド・ドリーム・インキュベーション))と呼ばれる。その仕組みを簡単に説明しよう。
この技術には、「Dormio」という名前の2つのデバイスが用いられる。一方は指や手に装着するウェアラブルデバイスで、心拍数などを計測してユーザーの睡眠状態を詳細に記録する。もう一方のデバイスは、見たい夢につながる情報を音声によって繰り返し再生するものだ。
TDIではこの二つのデバイスを用いて、脳が「hypnagogia(ヒプナゴジア)」と呼ばれる睡眠の入り口状態にある時に、「〇〇〇について考えてください」という音声が再生される。もちろん「〇〇〇」には、見たい夢に関連する言葉が入る。こうした音声が再生されることによって、まさに睡眠状態に入ろうとしている脳の中に特定のイメージを想起させ、見たい夢に関する情報を脳に滑り込ませていくのだ。
TDIのプロセスはこれだけではない。hypnagogia状態に、いくら特定のイメージを想起させても、そのまますぐに眠りにつくとそのイメージは忘れられてしまうことが多い。そのためTDIでは、一定の時間が経つと、今度は「何を考えているのか教えていただけますか?」と、ユーザーに呼びかける音声が流れる。これを受けたユーザーは、自分が考えていることをつぶやき、その後再び軽い眠りにつく。その後、さらに先述の特定のイメージを想起させるための音声がもう一度再生される。
こうしたサイクルを複数回繰り返すことによって、ユーザーは希望する夢を確実に見ることができるようになるという。
TDIはどこまで進んでいるのか
見たい夢を見るためのTDIの技術は、すでにかなり高い水準にまで進歩している。現時点で「Dormio」のデバイス自体を商品化する予定はないというが、「Dormio」に関する情報は、ソフトウェア開発プラットフォームである「GitHub」上に公開されており、その気になれば誰でも制作することができる。
またMITの研究チームは、iOSやアンドロイドのスマートフォンで使うことができるアプリ版の開発も進めており、私達がTDIの技術に触れるためのハードルは決して高くないといえそうだ。
TDIの技術のさまざまな利用法
我々に自分の見たい夢を見させてくれるTDI。すでに、さまざまな分野での応用が考えられている。
その代表的なものが、うつ病やPTSD(心的外傷後ストレス障害)などといった精神症状の治療への利用だ。夢の内容は、人々の幸福感や、気分の高低と関連することがすでに知られており、TDIを利用して特定の夢を見せることにより、精神的な症状の緩和につながる可能性があるのだ。
特にアメリカでは、戦場で過酷な状況を経験した兵士が、帰国後、PTSDを発症することが大きな社会問題になっている。そのため、こうした技術を利用した精神症状の緩和に集まる期待は大きい。
また、イスラエルのワイツマン科学研究所(Weizmann Institute of Science)の研究によると、睡眠中に特定の「臭い」を嗅がせることが、一部の依存症の治療に効果を示したという。この実験では、睡眠中に腐った卵の臭いなどの悪臭とたばこの臭いにさらされた人は、そうでない人に比べ、喫煙量が30%減ったという。
MITの研究チームなどは、音声を利用するTDIの技術に、嗅覚からのアプローチも組み合わせて、睡眠中の人々の脳への働きかけによる医療技術の開発にも力を入れている。
TDIをはじめとした夢をコントロールする技術への懸念
私達に見たい夢を見せ、医療への応用も検討されるTDIの技術は、画期的なものに思える。
しかし、あるアメリカの大手企業が、この技術を利用して夢の中で広告を打つことを試みたことをきっかけに、多くの識者から夢をコントロールする技術に対しての懸念も指摘されるようになった。
夢の中での広告に乗り出したのは、アメリカの大手ビールメーカー、クアーズ社だ。同社は2021年1月、TDIの技術を利用して夢の中での広告の再生を目指す、「クアーズビッグゲームドリーム」と呼ばれるキャンペーンを発表した。
出典)クアーズがYouTube上に公開しているキャンペーン動画から
このキャンペーンは、就寝前にクアーズ社に関連するイメージを想起させる短いオンラインビデオを視聴したり、音声を夜通し再生したりするように人々に勧めるものだった。クアーズ社は、こうしたTDIのプロセスに沿った行動を取らせることで、同社に関連する「さわやかな夢」を引き起こし、人々が目覚めた後で同社の商品を購入するように誘導しようと目論んだのだ。
YouTube上で公開されたこのキャンペーンの様子は大きな話題を呼んだが、製品の販売を促進する目的で人々の夢に介入することには、倫理的に大きな問題があるなどとして、多くの神経医学、脳医学の専門家らがクアーズの試みを批判している。特に、ビールメーカーの広告にTDIの技術が利用されることは、アルコール依存症の発症などといった現実的な悪影響をもたらすとして、複数の専門家から強い危機感が示された。
こうした事情を背景に、クアーズ社を名指しして、TDIの広告への利用に警鐘を鳴らすオープンレターが作成された。このレターには、TDIの開発者であるMITのアダム・ハー氏も関わっており、同氏はTDIが倫理的に運用されることの重要性を強調している。
同レターでハー氏らは、大企業が経済的な誘因から人々の夢に介入することを防ぐためにも、夢をコントロールする技術についての規制や、人々の夢を守るための保護政策がいち早く整備されるべきだと述べた。そうでなければ、近いうちに人々の見る夢は企業が利益を生み出すための「playground(活動の場)」になってしまうと、ハー氏らは警告している。
アメリカでは約9,000万人がAlexaなどのスマートスピーカーを所有しているとのデータもある。こうしたデバイスから睡眠中に流れる広告が人間の購買行動に影響を与えるとしたら、多くの広告主が参入するのは目に見えている。
こうした懸念から、TDIをはじめとする夢をコントロールする技術は、今後慎重に運用される必要があろう。一方で、こうした技術が人々の幸福に繋がる形で利用されることに、大きな期待が集まっているのも確かだ。この新技術が、適切な規制のうえで、我々の暮らしを豊かなものにしてくれる日を願いつつ、今後の展開を見守っていきたい。
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