写真) 北極近くを航行するドイツの研究砕氷船 2020年3月
出典) NASA Earth Observatory
- まとめ
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- 地球温暖化による海氷減少によって、北極海航路の利用が拡大。
- 航路短縮や海賊リスクを回避できることから、新しい航路として期待が高まっている。
- 一方、海氷減少や北極圏の生態系に悪影響が懸念され、慎重な対応が必要。
私たちの生活を支える食料品や製品、エネルギー資源の多くは海外から日本へ運ばれてくる。日本で作られた工業製品も、海を渡って外国へと輸出されていく。
では貿易品は、どのように目的地へ運ばれているのか、知っているだろうか。実はその99%以上は海運によって輸送されている。海運業は日本の貿易に不可欠な存在だ。
今回は日本の貿易を支える海運をテーマに、近年注目を集める「北極海航路」について紹介する。
北極海航路とは
北極海を航行するルートは主に2つある。1つ目は北アメリカ大陸に沿って航行する北西航路(Northwest Passage)、2つ目はユーラシア大陸のロシア北部に沿って航行する北東航路(Northwest Passage)だ。北東航路のうち、図の点線部分にあたるカラゲイト海峡からベーリング海峡までに至る航路をロシア政府は北極海航路(Northen Sea Route)と定義しており、近年船舶数やインフラ開発が活発化している。
今、なぜ北極海航路に注目が集まっているのか?実は、地球温暖化が関係している。
2000年代まで北極海は厚い氷に閉ざされており、商用船の利用は困難とされていた。ところが、地球温暖化によって北極海を覆う氷の面積が減少したことで、商用船の航行が可能になったのだ。
出典) 外務省
北極海航路のメリット
北極海航路は日本、そして世界にとってどのようなメリットがあるか、見ていこう。
1つ目は、運行距離の短縮だ。
国土交通省によると、例えば横浜港からドイツのハンブルグ港までの北極海航路の運行距離は、従来のスエズ運河を経由する南回り航路の約6割にまで短縮できる。運行距離の短縮は、輸送時間の短縮だけでなく、輸送に必要な燃料費の削減にも繋がるのでコストカットが期待できるばかりでなく、CO₂排出量も大幅に削減できる。
出典) 国土交通省
2つ目が安全性の向上だ。従来のスエズ運河航路はアデン海やソマリア沖など海賊被害が多発している地域や、石油タンカーへの攻撃・拿捕が頻発したホルムズ海峡などを航行する必要があり、時に船員たちは危険にさらされていた。北極海航路はこうした政治的リスクの高い地域を回避できる点で、安全性の向上に繋がる。
出典) 外務省
また、スエズ運河では今年3月に、大型コンテナ船が座礁し、運河を航行しようとしていた船舶約400隻が大渋滞を引き起こしたことは記憶に新しい。
出典) © Pierre Markuse
スエズ運河のような交通の要衝(チョークポイント)が塞がれると、多くの船舶の航行が妨げられ、世界的な物流の混乱を引き起こす恐れがある。こうしたことから、北極海航路はスエズ運河を経由する南回り航路の代替航路としての役割が期待されている。
北極海航路の利用状況
では実際にどれくらいの貨物が北極海航路で運ばれているのだろうか。
北極海航路による国際貨物の横断輸送は2009年に初めておこなわれ、2010年にはロシア北西部のムルマンスク港から中国への原油輸送が初めておこなわれた。インフラ開発や砕氷船の利用拡大によって、北極海航路の運用数はその後も増加し、国土交通省によれば、2019年は3,150万トンの貨物が輸送され、2015年の543トンと比べ6倍近く増加している。
北極海航路で輸送される貨物の多くはヤマル半島で採掘される液化天然ガス(LNG)である。天然ガスは他の化石燃料と比べ、温室効果ガスや大気汚染の原因となるNOxやSOxの排出量が少ない特性を持っており、石油に代わる主要なエネルギーとなっている。
ヤマルとは現地の言葉で「最果て」という意味で、豊富な天然ガス資源に恵まれながらも、厳しい自然環境から資源開発は困難だとされてきた。資源開発が本格的に始められたのは21世紀に入ってからで、ロシアの天然ガス生産会社ノバテク(NOVATEK)が天然ガス田の開発、供給事業を手がけている。ヤマル半島で採掘された天然ガスは欧州、アジア各国に輸出されており、北極海航路が活用されている。2017年にプーチン大統領が見守る中、「ヤマルLNG」はロシア海運会社ソヴコムフロト(Sovcomflot)が運行する砕氷LNG船によって、初めて海外に向けて出荷された。2019年にはヨーロッパを経由して日本にもLNGが出荷されている。
出典) ノバテク
北極海航路の課題
期待が大きい北極海航路だが、課題もある。
一つ目は、航行に必要な地理的・気象的情報が不足している点だ。船の航行に大きな影響を与える多年氷や氷山に関する情報が不足しているほか、海氷予測の精度を疑問視する声も上がっている。さらに、航行可能な期間はその年の海氷面積によって変動するため、事前の見通しが立てにくいことも海運会社にとってはネックとなっている。
二つ目はコストの問題だ。北極海航路を航行するためには、ロシア政府への申請が義務付けられており、航行する季節や海域、海氷の多さによってはロシアが提供する原子力砕氷船によるエスコートが必要となるが、砕氷船の運行費用は不透明な点も多い。また航行する船舶には適切な耐氷補強を施さなければならない。こうした費用を加味すると、従来のスエズ運河航路と費用は大きく変わらないとの見方もある。
これに対して、温暖化が進展すれば原子力砕氷船のエスコートが必要なくなるとする指摘もあげられる。デンマークの国際コンテナ会社「マークス・ライン」はコンテナ船として初めて砕氷船のエスコートなしでの試験航行を2018年に行った。同社は経済的な実行可能性を検討するためのものとしており、結果によっては砕氷船のエスコートなしでの航行が広まるかもしれない。
三つ目が、北極海航路の利用拡大によって最も懸念される生態系をはじめとする環境への影響だ。
全国温暖化防止活動推進センター(JCCA)によれば、北極圏では平均気温が世界の他の地域に比べて2倍の速さで毎年上昇しており、北極海を覆う海氷面積は減少の一途を辿っている。2020年の海氷面積は観測史上2番目に少ない396万㎢だった。これに伴い、北極海航路を航行した船舶も過去最大となった。北極海航路を運用する人々にとっては朗報だが、海氷面積減少による生態系への影響も忘れてはならない。
北極圏にはその地域でしか見られない固有種が数多く生息しているが、海氷の減少など環境の急激な変化によって絶滅の危機に瀕している生物も存在する。例えばホッキョクグマは北極海の海氷を棲み処としており、生息地域の減少から絶滅危惧種に指定されている。
出典) Pixabay
溶けて薄くなった氷は、厚い氷よりも光を反射しなくなる。このため海水がより多くの太陽光を吸収するようになり、氷がますます薄くなって海水温が上昇する。このように、一度氷が溶け始めると、それが引き金となって周辺の氷も溶けやすくなる悪循環が海氷減少を加速させる原因の一つとされている。
今後、北極海航路を航行する船舶が増加すれば、排出ガスの影響により更に気温が上昇して、この悪循環をさらに加速させてしまう恐れがあるとの見方もある。
また、仮に北極圏で積み荷や燃料の流出事故が発生すれば、脆弱な生態系を破壊してしまうリスクがある。
こうしたリスクから、企業が北極海航路の不使用を宣言する動きも生まれている。
2019年、ナイキはアメリカのNGO団体「オーシャン・コンサーバンシー(Ocean Conseversy)」とともに、「北極海航路企業宣言(Arctic Shipping Corporate Pledge)」を宣言した。北極海航路が周囲の環境に与える影響を懸念し、自社の輸送ルートとして北極海航路を使用しないことを宣言している。アパレルを扱うコロンビアやH&Mなどに加え、海運業の長栄海運、ハパックロイド、MSCなどの企業が賛同、署名している。
また北極圏には、南極条約や環境保護に関する南極条約議定書のような国際ルールが存在しない。地球温暖化で北極圏でのビジネス機会が増えていることを念頭に北極域での持続可能な開発や環境保護を目的として、北極圏国8か国によって「北極評議会」が1996年に設置された。我が国は2013年からオブザーバー国となっており、科学的知見や科学技術を活用し、意思決定やルール策定に関与している。
本年5月アイスランドで開催された会合では、設立25周年で初めて策定された戦略文書の採択や「 レイキャビク宣言」(共同閣僚声明)への署名がなされ、同地域の持続可能な開発を進めることで一致した。
出典) 外務省
地球温暖化によって利用価値が高まった北極海航路。新たな選択肢が加わったことで、世界の物流を今まで以上に安定、発展させることが期待される。
一方で、北極圏は気候変動の影響を最も受けている地域の一つであり、船舶の航行は更なる環境破壊に繋がる恐れもある。その運用は慎重に行うべきだろう。同航路を使うにあたっては、調査・環境規制を充分に行うことや、温室効果ガス排出を大幅に削減する、いわゆる「ゼロエミッション」船の開発・実用化を加速することなどが求められている。
「北極評議会」を通じた北極圏の持続可能な開発や環境保護、「カーボンニュートラル」な世界の実現に向け、海運業は未知の挑戦に取り組むことになる。
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