写真)ブリュッセル・モーターショー 2026年1月9日
出典)Sjoerd van der Wal/Getty Images
- まとめ
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- 欧州委員会は2035年以降の新車排出規制を「完全ゼロエミッション化」から「90%削減」に緩和、合成燃料やEU産グリーン鉄の使用を認める方針を打ち出す。
- これによりHV車やPHEV車の販売継続が可能になった一方、日本は「グリーン鉄」の国際競争力や安定供給、欧州のLCA・CBAM規制への対応に直面。
- 日本は、アジア域内における炭素価格制度の相互承認に基づく共通の通商枠組みの確立と安価な水素製造を進める必要がある。
2025年12月16日、欧州委員会(EC)は、2035年以降の乗用車および小型商用車の新車販売に関する排出規制について、世界の自動車産業の前提を根底から覆す歴史的な修正案を公式に発表した。
欧州委員会はこれまで「2035年までに新車販売の排気ガス排出量を100%削減する(完全ゼロエミッション化)」という強硬なロードマップを掲げ、内燃機関(ガソリンやディーゼルなどの燃料を燃やして動力を生み出すエンジン)の事実上の排除を推進してきた。しかし今回の発表では、この方針を転換し、「2021年比で90%削減」を新たな目標とすることを正式に公表したのだ。
注目すべきは、残り10%の排気ガス排出量について、合成燃料(e-fuel)やバイオ燃料の使用による補填だけでなく、「EU産の低炭素鋼(Green Steel:以下、グリーン鉄)」を車体構造に使用することを認める方針を明示した。
この修正案が何を意味するかというと、2035年以降の新車販売はガソリンエンジン車からすべて電気自動車(EV)や燃料電池車に移行しなければならなかったものが、プラグインハイブリッド車(PHEV)や、ハイブリッド車(HV)も販売することができることになったのだ。
この欧州のルール変更は、単なる環境規制の緩和ではない。背景には、中国製EVの圧倒的な価格競争力に対する欧州域内自動車メーカーの危機感がある。
日本車メーカーが得意とするHV車やPHEV車を2035年以降も継続して販売できるようになったのだから、この修正案は朗報のはずだが、実はやっかいな問題が新たに浮上した。それが、「グリーン鉄」である。
グリーン鉄
グリーン鉄とは、生産時のCO₂などの排出量を削減した鉄鋼材料のことをいう。背景には鉄の製造時に多くのCO₂が排出されていることがある。IEAによると、鉄鋼業界は、世界の最終エネルギー需要の約8%、エネルギー部門のCO₂排出量(プロセス排出量を含む)の7%を占めている。自動車の外板はほとんどが鉄だ。鉄製造時のCO₂排出量削減は世界の潮流と言ってもいいだろう。問題は削減する量と、そのスピードだ。
IEAは、2070年までに鉄鋼業界からの排出量ゼロを達成することを目指し、継続的に削減していく必要があるとしている。そのうえで、現在のレベルである粗鋼1トンあたりCO₂排出量1.4tを2050年までに約60%削減し、0.6tにするという極めて厳しい目標を掲げている。
EUのこの方針転換の背景には、「欧州の鉄鋼業(低炭素鋼製造)と自動車業(エンジン車継続)をセットで守る」という、極めて戦略的な「EU産優先」の産業保護政策があることは明白だ。
グリーン鉄の製造技術
日本はこうしたEUの攻勢にどう向き合おうとしているのか。
まずはグリーン鉄の製造技術に目を向けてみよう。
「グリーン鉄」の製造において中核を担う技術が、「水素還元製鉄」だ。
従来の製鉄法である「高炉法」は、石炭(コークス)に含まれる炭素(C)を還元剤として使用し、鉄鉱石(酸化鉄)から酸素(O)を奪うプロセスにおいて、化学反応の結果として鉄1トンの製造につき約2トンの二酸化炭素(CO₂)を排出していた。
これに対し「水素還元製鉄」は、炭素の代わりに水素(H2)を還元剤として使用し、鉄鉱石から酸素を奪う。この化学反応の結果として生成されるのはCO₂ではなく、無害な水(H₂O)である。この技術により、製鉄プロセスにおけるCO₂排出量を理論上ゼロに近づけることが可能となるのだ。
日本の鉄鋼大手はこの次世代技術の確立において、すでに具体的な成功実績を積み上げている。
日本製鉄株式会社は2024年12月20日、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のグリーンイノベーション基金事業において、東日本製鉄所君津地区の試験炉を用い、高炉本体からのCO₂排出量を、世界最高水準を更新する43%削減に成功したと公式プレスリリースで発表した。これは加熱水素を高炉に多量に吹き込む「Super COURSE50」技術によるものであり、2023年時点の33%削減という記録を大幅に塗り替え、当初の目標を大幅に前倒しで達成した。
また、JFEスチール株式会社も、CO₂排出削減分を製品に割り当てる「マスバランス方式」を用いた低CO₂鋼材「JGreeX®」を実用化しており、2025年4月24日には、いすゞ自動車の量産型EVトラック「エルフEV」の部品に採用されたことを公式ニュースリリースで発表した。日本の鉄鋼産業はすでに試験段階をクリアし、実証フェーズへと移行している。
しかしながら、日本国内におけるグリーン鉄の安定供給と社会実装には、エネルギーコストという深刻な課題が立ちはだかっている。水素還元製鉄に必要な日本のグリーン水素(再生可能エネルギー由来の電力で水を電気分解し製造する水素)製造コストは、広大な土地と再生可能エネルギーに適した土地を有するオーストラリアや中東などの地域に比べて極めて高く、この価格差が鋼材、ひいては完成車の国際競争力に直結するのだ。
今後の日本の対応
欧州による規制緩和を受け、日本政府および産業界は「脱炭素化」と「国際競争力」の両立に向け、具体的なアクションを加速させている。
まず政府は、経済産業省が策定した「GX(グリーントランスフォーメーション)推進戦略」に基づき、20兆円規模の「GX経済移行債」を活用する。水素サプライチェーンの構築や製鉄プロセスの抜本的転換への支援を明確に打ち出した。
次に水素還元製鉄に必要な安価なグリーン水素の確保だが、これに対して政府は、オーストラリアや中東諸国との間で、水素を優先的に確保するための政府間協定の構築を急ピッチで進めている。
また、欧州が運用を強化するLCA規制(注1)やCBAM(国境炭素調整措置:注2)に対し、経済産業省は「マスバランス方式(物質収支方式)」によるCO₂削減努力を欧州基準と同等に認めさせるためのいわゆる「国際相互認証」の締結交渉をおこなっている。
マスバランス方式とは、鉄鋼メーカーが製造過程で削減したCO₂量を「環境価値」として証書化し、それを特定の製品に割り当てることで、その製品を低排出の鋼材として扱う仕組み。全設備の一斉転換が困難な移行期において、グリーン鉄の供給を早期に実現するための現実的な国際ルールとして、日本の鉄鋼大手が採用している。
日本製のグリーン鉄が「10%の排出オフセット枠」として正式に受理されるか否かは、国内自動車メーカーの欧州戦略を左右する極めて重要な分岐点となる。
かつて日本は、世界最高水準のクリーンディーゼル技術を持ちながら、欧州主導のルール変更によって市場の優位性を失った苦い経験がある。2035年以降の世界市場で生き残るためには、高度な技術開発はもとより、その正当性を客観的に証明し、認めさせる「通商外交」との一体運用が不可欠となっている。
あとがき
今回の欧州の方針転換は、日本企業にとって好機であると同時に、欧州が環境ルールを高度な「非関税障壁」として運用し始めた現実を改めて突きつけた。これまでの情勢を踏まえると、今後の日本がとるべき施策の焦点は、以下の2点に絞られてくるのではないだろうか。
第1に、AZEC(アジア・ゼロエミッション共同体)構想を基盤とした、アジア独自の通商枠組みの確立である。
欧州のCBAM(国境炭素調整措置)は2026年1月から本格稼働し、域外製品への実質的な課金が開始された。こうした中、日本がASEAN諸国と推進するAZECの枠組みを一段階引き上げ、アジア域内での炭素価格の相互認証や、共通の排出量算定基準を設ける「アジア版CBAM」とも呼べる仕組みの創設を急ぐ必要がある。
アジアは欧州に比べ火力発電比率が高く、再生可能エネルギーへの移行には相応の時間を要する。日本がASEAN諸国と連携し、こうした地域の実情に即した「排出量算定および削減評価の共通基準」をアジア標準として合意できれば、欧州の一方的なルール設定に対抗し、世界のルール形成において主導権を握るための交渉基盤となるはずだ。(参考:アジア・ゼロエミッション共同体(AZEC):日本の叡智が拓く低炭素化の壮大な道筋と国際貢献2025.12.09)
第2に、「エネルギー安全保障」と「産業政策」を両立させることである。
製鉄の脱炭素化に不可欠な水素を海外供給にのみ依存することは、新たな地政学リスクを招く。カーボンフリー水素の供給には、安定した熱源の確保が不可欠であり、その選択肢の一つとして従来の原子力発電や次世代革新炉の活用も議論されている。エネルギー安全保障と経済性の観点から、長期的な選択肢を幅広く検討する姿勢が求められる。
市場競争の前提条件が政治によって決定される時代において、日本の技術的優位性を着実な経済的成果へとつなげるためには、官民が連携して「ルール形成能力」を産業戦略の中核に位置づけることが不可欠であろう。
- LCA(ライフサイクル・アセスメント)規制
製品の「走行時(使用時)」の排出量だけでなく、原材料の採掘から製造、廃棄、リサイクルに至るまで、製品の一生(ライフサイクル)を通じた環境負荷を評価・規制する仕組み。 - CBAM(Carbon Border Adjustment Mechanism:国境炭素調整措置)
環境対策が不十分な国からの輸入品に対し、事実上の「関税」を課す仕組み。欧州(EU)が先行して導入している。これにより、産業競争力の平準化を図るとともに、規制の緩い国や地域にも温暖化対策を促すことが期待される。
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