
写真)長野県野菜花き試験場でおこなわれている隔離栽培(長野県塩尻市)
ⓒエネフロ編集部
- まとめ
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- 土壌病害に悩む長野県の基幹品目トルコギキョウを救うため、中部電力と県、JAが連携し、土を使わない「隔離栽培」技術を開発。
- 土壌消毒が不要になることで環境負荷や労力が激減し、病気に弱い品目も安全に栽培可能に。一方コストや品質維持などの課題も。
- 現在は、ケイトウや大輪アスターなど他の切り花品目にも応用し、センサーデータを活用した自動化を進め、持続可能な農業プラットフォームとして国内外への展開を目指す。
色鮮やかな花々が地面から切り離された空間で整然と育っている、不思議な光景がひろがっている。ここは長野県塩尻市にある、最先端の農業実証試験場だ。
全国トップクラスの生産量を誇るトルコギキョウを深刻な土壌病害から救うために、あるプロジェクトが始まった。そして今、そのプロジェクトはケイトウなど他の品目へと対象を広げ、地域の花き産業全体の未来を左右する挑戦へと進化を遂げ始めた。この壮大な農業革新への挑戦に参加しているのが中部電力株式会社(以下、中部電力)だ。なぜ電力会社が農業の革新に挑むのか。異業種連携が拓く、次世代農業の最前線を追った。

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開発の背景:土に潜む見えざる脅威と産地の苦悩
プロジェクト発足のきっかけは、長野県の基幹品目であるトルコギキョウが直面していた危機にあった。同じ土地で同じ作物を栽培し続ける「連作」により、土壌中のカビの一種であるフザリウム菌の密度が高まり、作物の根から侵入して株全体を枯らしてしまう「フザリウム立枯病」などの土壌病害が蔓延していたのだ。
この問題の深刻さについて、長年にわたり現地の花き(かき)栽培を指導してきた長野県野菜花き試験場の専門研究員、神谷勝己氏はこう語る。
「(化学農薬の)クロルピクリンで消毒しても50%近く枯れてしまうこともあります。新しい消毒方法を試してもなかなかうまくいかず、まさに決め手に欠けている状況です。この問題は今も非常に深刻で、生産者の意欲を削いでいます」。
加えて、環境保全の観点などから世界的に化学農薬の使用規制が進んでおり、クロルピクリンをはじめとした化学農薬に頼った対策では生産の継続は難しい状況になりつつあるのだという。
収益性の悪化と環境負荷への懸念という二重苦が、産地に重くのしかかっていたのだ。この農業の構造的な課題に対し、「土が問題なら、土から切り離せばいい」という逆転の発想で挑んだのが、中部電力とJA上伊那、そして県の試験場だった。
なぜ電力会社が? 異業種連携と海外の先行事例
畑違いとも思える電力会社がなぜ農業に関わるのか。中部電力は、エネルギー事業の枠を超え、自社の持つ技術や知見を活かして地域社会の課題解決に貢献する「共創」を新たな事業の柱に据えている。
中部電力株式会社電力技術研究所の研究主査、鈴村素弘氏は連携の経緯をこう説明する。
「もともと施設園芸での『農業電化』の研究を長年続けており、その中で花き栽培の課題として土壌病害があると聞きました。電力自由化以降、電気を使っていただくだけでなく、現場の困りごとを解決するソリューションを提供することで『選んでいただける電力会社』になる必要があるという思いから、このプロジェクトがスタートしました」。

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培地を地面から隔離する栽培方法は、施設園芸先進国であるオランダなどで広く普及している。しかし、それを日本の気候や経営規模に合わせて低コストで導入し、さらにトルコギキョウやケイトウのような多様な品目に最適化するシステムは存在しなかった。この未開拓の領域に、3者連携で挑むことになったのだ。

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「隔離栽培」の最前線:そのメリットと実用化への課題
伊那市の実証ハウスでは、地面から約40cmの高さに設置された隔離容器が整然と並ぶ。当初、このプロジェクトはトルコギキョウの土壌病害対策として始まったが、その有効性が確認されたことで、現在ではケイトウをはじめとする他の花き品目での実証へと展開されている。
この手法がもたらす最大のメリットは、土壌病害リスクからの解放だ。病原菌の温床となる地面の土壌と作物の根を物理的に遮断することで、長年の課題であった土壌消毒が一切不要となる。これにより、生産者のコストと労力、そして環境への負荷が劇的に削減される。高齢化が進む生産現場にとって、真夏のハウス内でおこなう土壌消毒は重労働であり、その作業がなくなることの意義は大きい。
その効果だが、神谷氏は手応えを感じている。
「トルコギキョウのように病気に弱い品目でも、この栽培方法ならこれまでクロルピクリンのような劇薬を使わず安全に栽培できることが大きな成果です。また、立ち枯れが出ないため収量ロスも減るメリットもあります」。
一方、茎の硬さなどの品質では、根を張れる体積が少ない分、地植え栽培にかなわない部分もあるという。
この画期的な技術が産地全体に普及するには、いくつかのハードルを越えなければならない。課題について2人に詳しく聞いた。
課題
最大の課題はコストだ。隔離容器や灌水システム、環境センサー、そして交換が必要な培地(注1)の購入など、初期投資とランニングコストがかかる。特に培地には、排水性、保水性、通気性、保肥性、物理性、化学性のバランスが重要であり、その開発にはかなり時間をかけたという。その特別な培地を無駄なく使うため、育苗箱の大きさも最適化した。将来、土台を交換する時の手間や費用まで計算に入れて、最も効率的になるように設計した。
しかし、隔離栽培が、従来の栽培方法以上の収益を上げるためには、単位面積あたりの収量を向上させ、かつ安定させることが不可欠だ。生産者が明確な投資対効果を見出せるような、具体的な経営モデルを確立することが求められる。そのためにはもう一段のコスト削減や効率性の向上を実現せねばならない。
2つ目の課題は、栽培技術の標準化だ。
土壌から離れることで、水や肥料の管理はより繊細かつ重要になる。培地は土壌と比べて保水性や保肥性が低いため、品目ごとに最適な供給量やタイミングを見極める必要がある。ケイトウのように比較的浅く根を張る品目と、より深く根を張る品目とでは、求められる培地の量や組成も異なる。
この点について鈴村氏は、「センサーによって培地環境の『見える化』はできました。今はまだデータを使っている段階ですが、将来的にはこのデータを活用して水や肥料の供給を自動制御することで、環境負荷を減らし、高品質な花を安定して作れるようになるはずです」と、電力会社ならではの視点を語る。
栽培技術の標準化が実現すれば、複数の花の隔離栽培が可能になり、生産性は大きく向上するだろう。
未来への展望:汎用プラットフォームとしての可能性
このプロジェクトは、もはや特定の作物の課題解決に留まらない。確立した隔離栽培システムそのものをソリューションとして国内外に販売するという、大きなビジネスチャンスを秘めている。ハードウェア(隔離容器、センサー等)とソフトウェア(環境制御システム)を組み合わせ、栽培ノウハウまで含めた総合的なプラットフォームとして提供するビジネスモデルだ。
神谷氏も、この技術が持つポテンシャルに期待を寄せる。
「この技術が確立すれば、土壌消毒はもちろん、毎作ごとの土作りといった作業から解放され、省力化に繋がる可能性があります。さらに、低温期に栽培できるストックや金魚草などを組み合わせることで、年間を通じた生産も検討しています。新規就農者も参入しやすい、持続可能な花き生産の形になるはずです」。
さらに、この技術は地域社会の活性化にも繋がり得る。農業を「科学」と「データ」に基づいた知的産業へと転換することで、若者や異業種からの新規参入を促し、後継者不足という根深い問題へのアプローチともなるだろう。
鈴村氏はエネルギー事業者としての展望を語った。
「今回の取り組みでは、農家の方がクロルピクリンという化学農薬を使わずに済むという持続可能な農業への貢献が最も重要だと考えています。我々の得意な計測技術で培地環境を『見える化』し、将来的にはこのデータを活用した制御に繋げていく。そうしたお役立ちを通じて、地域に選ばれる存在でありたいです」。

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取材を終えて:異業種連携が拓く、持続可能な農業への挑戦
長野県で始まった隔離栽培プロジェクトは、トルコギキョウという一つの花の窮状を救う挑戦から、ケイトウをはじめとする多様な花き品目の未来を拓く、より普遍的な農業技術プラットフォーム開発へと進化を遂げている。土という、農業の根幹そのものから発想を転換し、テクノロジーと異業種の知見を掛け合わせることで、これまで不可能とされてきた課題を克服しようとしていることを高く評価したい。
もちろん、コストや技術の標準化など、実用化への課題は残る。しかし、この取り組みは、日本の農業が抱える病害、後継者不足、環境負荷といった複合的な課題に対する回答の一つであることは間違いない。小さな実証ハウスから、日本の農業をより強く、持続可能な産業へと変革していく大きなうねりが生まれるのではないか。そんな期待を胸に抱いて信州の地を後にした。
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培地
植物の根を育てるための土の代わりとなる材料。
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